散策者の発表会 vol.1『白む』 散策タイム

パフォーマンスの上演終了後に、「散策タイム」を実施しました。これは「見る」以外の演劇との関わり方を探るためのワークショップとして考案されたものです。
『白む』での「散策タイム」では、戯曲の一部を黙読・音読し、参加者同士が考えたことや感じたことをシェアしました。上演を見るのとは異なる形で「書き言葉に耳を傾けてみる」ことを目指す時間でした。
以下は、実際に対話の助けとして使った模造紙の記録写真です。参加者の読みや感覚がそれぞれのスタイルで書かれています。

このほかの記録写真はこちらから

ワークインプログレスに寄せて

ワークインプログレス(work in progress)とは、文字通り「進行中の作品」のことで、この特設ウェブサイトは、来るべき『オハイオ即興劇/曲』への<進捗>をある程度形にした作品ということになります。しかし、わざわざそのようなことを言い立てるまでもなく、演劇というのはそもそも、ある表面から別の表面への<移行>を指すものであるようにも思います。テクストを読み、覚え、形のある成果を提出し、それらを舞台空間上に並べる。そして、この水平的な劇の<進捗>と垂直に交わるようにして、実は作り手それぞれの日々の生活もまた、別の表面へと<移行>していくものです。

そういったありきたりな演劇の在り方、そして、それを巡るありきたりな移行を、私たちがウェブサイトという特殊な場でわざわざ再現して見せるのは、その移行そのものがあまりにありきたりであるがゆえに、取り違えたり見失ったりされる事態がよく生じるからです。表面がいつも無垢に次の表面を仕向けてくるのとは裏腹に、私たち人間はいかにそれが野暮だとわかっていても、ありえた移行を拒み、あえて表面から離れることで、自らシリアスな気分に陥ろうとしがちです。この徒労が一個人の戯れにとどまらず、集まりを通して伝染されていったとき、私たちは互いの表面を削り取ってまで、ありもしない<全体性>を欲望するようになってしまいます。

そのような危うさへの精一杯の抵抗として、この特設ウェブサイトは作られました。このワークインプログレスでは、各領分の水平的な<隣接性>を適切に保とうとするのと同時に、テクスト—日々の生活—形のある成果・・・といった垂直的な<隣接性>にも、ある程度の気遣いと努力が要求されたと感じています。先んじて、在るべきイメージが共有されるのではなく、すでに在る(あるいは、在ってしまっている)領分や表面から、<隣接>という事態そのものを浮き立たせること。そこに賭けてみようと考えたのです。

もはや「これは演劇か?」などと問う必要はありません。なぜなら、これは演劇で、これはワークインプログレスだからです。このページを訪れたみなさんが、この移行しつづける地図の上—此処はある必然性をもった人為と、コンピュータのランダム機能によって構成された地図です—を自由に散策し、なんらかの愉しみを見出してもらえたなら幸いです。

 

主宰 中尾幸志郎

 

ワークインプログレス特設ウェブサイトはこちら:https://www.sansakusya-ohio.com

足について 3

3.  一歩おくれて言う、二歩おくれて書く

 

今日はSと線路沿いを散歩した。春らしく隅々が見渡せる天候で、いつもは目もくれないような野草も生き生きして見えた。ふとSが足を止めて、「あ、踊子草だ。」と言った。なるほど、ピンクと白の花びらを衣装みたく纏い、凛とした感じでそれは生えていた。

 

 たとえばこういう具合に日記を書いてみる。これを日記として書くというとき、私はどうしてもあの空虚さを強く意識せざるをえない。特に第三文目の「ふとSが足を止めて、『あ、踊子草だ。』と言った。」など、こんなことを書いて一体じぶんは何がしたいのかと、疑心暗鬼に陥らないわけにいかない。

 これは現実の言葉だ(ったはずだ)。ここで仮に、言葉には、現実の言葉と、日記の言葉と、劇の言葉があるのだと仮定してみよう。

 現実の言葉とは、Sが足を止めて言った時点、地点における「あ、踊子草だ。」という言葉のことだ。現実の言葉に特有の魅力は、その軽妙さにある。「あ、踊子草だ。」—そんなこと口にしなくても踊子草はたしかに存在しているのに、わざわざ「そこに」「踊子草が」「ある」という事実を確認しているのである。無垢だ、とか、ばかばかしい、とか言ってもいい。

 なぜこういうばかばかしい発言が、軽妙な魅力を生んでいるかというと、言葉が現実に対して一歩遅れをとるという、例の空虚さを逆手にとって弄んでいるからだ。いかなる言語をもってしても、「そこに」「踊子草が」「ある」という現実に到達することができないのは自明で、それなのに「あ、踊子草だ。」と言って、無垢に現実に接近し、挫折して見せている。そこにユーモアが詰まっている。

 対して、日記の言葉はどうか。「ふとSが足を止めて、『あ、踊子草だ。』と言った。」—台無しである。かつての軽妙さはまるで失われ、シリアスな仏頂面の言葉がこちらへ差し出される。どうしてこうなってしまうのだろう。まるで、Sが「あ、踊子草だ。」と言ったという現実を、書き手(=私)がとてもとても大事に思っていて、こうやって真剣に書くほかなかったかのようだ。多くの人がじぶんの日記を他人に見せたがらないのは、おそらくこういうシリアスさに対する恥の意識がかかわっている。それはシリアスに書いたからシリアスなのではなく、日記という書きもの自体がそもそも空虚をめぐって書かれる(しかない)から、当初予定していたよりもずっとシリアスになってしまうのだ。

 なぜこうもシリアスになってしまうかというと、言葉が言葉に対して一歩遅れをとっている、つまり言葉が現実に対して二歩も遅れをとっているからだ。ここまで遅延してしまうと、もはや現実の言葉において見られたような挫折感が、無意識のうちに隠蔽されてしまう。無垢に現実に接近するどころか、積極的に現実を隠蔽しにかかる。もちろんこれは第三文目に限った話ではない。「春らしく隅々が見渡せる天候で、いつもは目もくれないような野草も生き生きして見えた。」など、隠蔽に隠蔽を重ねている。この文は、今日実際に見てきた景色を「ありのままに」書こうとして書かれたものではなく、「青空だ。」「春だね。」「気持ちいいね。」「野草だ。」といった現実の言葉に一歩遅れる形でひねり出されたものである。つまり、「実際に見てきた景色」なるものに接近しているような体を装って、じつは言葉の接近する先には空虚しかないという事実、あるいは最後には挫折するしかないという運命を隠蔽しているにすぎないのだ。それゆえに、日記というのは「面白く」—こう言ってよければ小説らしく—書こうとすればするほど、隠蔽を重ねていくことになり、したがってよりシリアスで軽妙さを欠いたものになってゆく。

 では、劇の言葉はどうだろう。何もない舞台に、俳優がひとり出てきて、「あ、踊子草だ。」と言ってみたら。想定される可能性は二つある。一つは、現に何もないのに「あ、踊子草だ。」と言われたことで、言葉の挫折感だけが浮遊し、軽妙さが出る。もう一つは、現に何もないのに「あ、踊子草だ。」と言われたことで、観客が「そこに踊子草がある(ということになっている)のかあ」と想像力を膨らませ、恐ろしくシリアスに、つまらなくなる。

 

中尾幸志郎

足について 2

2. 日記に書かれた、買い物の「足」

 足「について」書くことを最後まで潔癖に避けてこのエッセイを綴じることはおそらくわたしにはできないが、「について」の引力に対するせめてもの抵抗として、最近書いた日記を持ち出してみたい。日記という書きものの形式は、とりわけ生活に密着した表現物であるし、日記には大抵その日の行き先や自分の行動のことを書き記すわけだから、その行間には無意識にも「足」のことが刻み込まれている。それゆえ、日記を読むことは「足」「について」の文章を読むこととはちがい、行間に書き込まれた「足」のムーブメントを追うことになる。
 以下の日記は、「散策者」が稽古の一環として二子玉川のショッピングモールに行った日のもので、わたしがこれを書いたのも、普段から日記をつける習慣があるからではなく、日記を書くまでがワークだったからだ。ワークの主な内容は、ショッピングモール内のどこかで各々の思う「舞台」を見つけてきて、その地図を描いてくるというものだった。
 今この日記を読み返すと、ワークの記録としてではなく、買い物の記録としても読めることに気がついた。エッセイのこんなにも冒頭で、ワークの(それも演劇の)「足」を論じてしまえば、最終的にあまりにも生活の場から離れすぎる危険がある。ただ、買い物の「足」ということであれば、この日記の上で思考を走らせることにそれほど問題が生じなさそうだし、何より自分の書いたものであるから他人のプライバシーを晒さずにもすむ(個人名はイニシャルに変更しておいた)。買い物に関する部分を抜粋して引用する。
 
 
1/26(日)
 9:00に二子玉川駅到着。改札を出るとSだけいる。ポツポツと雨が降っていて、結構寒い日。(中略)
 たしか3年前に何度か来たけど、向こうのほうしか覚えてないや、あれUと来たとき以外、誰と来たんだっけ、Mと来たっけ、結構忘れてるもんだなと思いながら、「蔦屋家電」に入った。「舞台」を見つけなきゃっていう意識と、カフェインによる変な血のめぐりのせいで、あんまり心地よく歩けない。いったん、さっき話したこと全部忘れて、お店を楽しもうと思った。
 一番近づきやすい本のエリアをうろうろしてみたけど、手にとるにはなかなか至らない。家電は高いし、そんなに興味もない。売り物のソファがあって座りたかったけど、そのエリアはまだ開放されてなかったし、たとえされていても一人では座れないなと思った。誰かと行動をともにすればよかったと思いながら、特に何にも触ることなく蔦屋家電を出た。なんとなく来た道を戻っていたら、50mくらい先のさっきの市場みたいなところにSがいた。目論見がかなってついていったら、また「蔦屋家電」にきた。ファミレスの呼び鈴みたいなのを二人でいじくってたら、店員の女性がそちらはIHでして…と絡んできた。その変なリモコンで火力を調節できるらしい。Sが聞いてるふりをしてくれたので、リモコンをいじり続けて話が終わるのを待った。ほかにも、悪目立ちしそうなユニオンジャックの冷蔵庫とか、別にふつうのコーヒーミル(豆が置いてあって試し挽きできた)とかいろいろあった。あわよくばS(※ここまでのSとは別人)の誕生日プレゼントを見つけようと思っていたら、目立つ色のサンダルみたいなのがあって、試し履きしたらすごくふかふかだった。時間があったら買おう。もう11:00を回ってたので、地図を書くためにSはいなくなった。
 
 
 わたしはこの日、蔦屋家電への二度の来店のうち、Sと入った二度目の方が居心地よい時間を過ごせたのだった。一度目の来店について、わたしは「家電は高いし、そんなに興味もない。」と書いたが、その後二度目の来店ではいろいろと家電製品に触れてみたことを書いている。変化の要因は明らかにSの存在だった。特に目当てのものがあるわけではない買い物は、一人よりも誰かと一緒にいた方が「上手に」歩けるものである。「上手に」とはつまり、それが「技術」の問題にかかわるということだ。わたしは買い物を誰かとともにするという一見何でもないことを、ここではあえて「技術」と呼びたい。なぜなら生活におけるこのちょっとした工夫は、すでにある意味で表現のアナロジーであるからだ。
 「技術」という言葉は、標準よりも秀でていること、巧みなことに対して使われる言葉であるから、その意味で「ふつうの人」の日常的な動作とは異なる次元にある、といった感じを与えてしまうかもしれない。しかし、「身心変容技法」などと言われるような技術(技法)を探究していた、世阿弥やグロトフスキのことを思い出してみると、たしかに彼らは尋常ならざるからだの使い方を開発したのかも知れないが、その方法は空から才能が降ってくるみたいな神秘的なものではなく、日常のちょっとした工夫と地続きなもの、「ふつうの人」にもできるような明晰なものであったように思える。この二人に共通する点の一つは、演技をまず「歌/謡」からはじめようとしたことだ。歌は人間が演技するにあたって、とても有用な道具になる。わたしたちは気分がのってどこかで歌いだすとき、自然とからだを動かすことをしている。別に手「について」考えていたわけではないのに、手は踊るようにあちこちへ向かっていたり、控えめにリズムを刻んでいたりする。足「について」考えていたわけではないのに、足は気づくとステップを踏んでいたり、洗濯物を干す動作にリズムをつけていたりする。動く理由や動機をもてず、一歩も踏み出すことのできなかったからだが、「歌」というちょっとした工夫を挟むだけで理由も動機も必要なく、自然な仕方で動くことができるようになることがある。
 なぜわたしはSと一緒の方が、ショッピングモールを上手に歩き回ることができたのか。それは、わたし(=歩くという行為の中にある人という意味で、以降「歩者」とよぶ)の意識が多方向に分散されることで、その足の運びが「遅足」になったからだ。誰かとともに歩くことで、歩者は店内を一周ぐるっと回ることだけでなく、相手とコミュニケーションをとることや、足取りを調和させる(歩く速さを調整する)ことにも意識を向ける。
 わたしが思うに、歩者の足の運びはなによりも目的やベクトルの有無と結びついている。明確な目的が存在するとき、たとえば、玉ねぎと卵を買いに近所のスーパーへ寄るとき、その足の運びはおのずと「早足」になる。これは歩者の意識にとって、目的地以外のあらゆるディテールが問題にならないからだ。スーパーの入り口から青果コーナーに至るまでのあいだに、人目をひくように惣菜のセール品が置かれていたとしても、「早足」が解除されないかぎり、それを手にとってカゴに入れるか否か悩むことはない。「早足」の歩者にとって、目的地までに通過する道のりはのっぺりとした色のない世界であり、あらゆるディテールはたんに煩わしい存在である。ところが買い物をしていると、思いがけず惣菜のセール品に出くわし、魅力を感じて歩みを遅めるということもよくある。その場合、歩者の「早足」は解除され、一方向的な目的意識が多方向に拡散される。世界に色がつくのだ。日記でも、二度目の来店の方がより細やかに記述がなされていることがわかる(一度目についての記述が119文字であるのに対し、二度目については266文字書かれている)。特に目当てもなくぶらぶらとめぐるショッピングモールのような場所では、このような「遅足」の方が周囲の環境に順応しやすい。
 生活のちょっとしたところにもついつい技術の必要性を感じてしまうのは、都市という空間のなかであまりにも多種多様な足どりが要請されるせいで、その切り替えを自然に遂行することがほとんど不可能であるからではないだろうか。わたしたちの「足」は、ショッピングモールを歩いたほんの数時間後に近所のスーパーへ向かわされるということをいつも強いられている。だが、人間の「足」が環境に適応する、つまりその空間に対してもっとも適切な時間感覚をつかむには、それなりの時間を必要とする。わたしがショッピングモールを上手く歩けなかったのは、わたしの意識が電車や自動車の速度にある程度慣れてしまって、「早足」を常態化しているからではないだろうか。都市生活のなかでは動物的な、ニュートラルな「足」の様態を保っていることはほとんど不可能で、わたしたちの「足」は程度の差はあれつねに急かされている。だから「早足」になるのに技術はいらないが、「遅足」になるためにはちょっとした工夫が必要なのだろう。
 わたしは買い物のときだけでなく、たとえば散歩するときにも「遅足」の難しさを感じる。せかせかとした生活からすこし距離をおこうと公園まで出かけたつもりが、何を見てどう歩けばいいのかわからず、気づくとせかせかと外周を回りそのまま帰ってしまった、ということもあった。だが、こういう散歩の「早足」には、音楽やラジオがよく効くものだと最近わたしは思い当たった。どういう作用がはたらいているのかはっきりとはわからないが、意識を聴覚の方向へ分散させることで「遅足」が生まれるということなのだと思う。意識の分散がおこり「遅足」になると、今度は自ずと空気の感触やにおい、周囲の景色が気になってくる。ラジオを流しながら神田川沿いを歩いていたわたしは、ゆっくりと時間をかけて、失われた時間を補給しているような感覚をおぼえた。世界に色が戻った。

 

中尾幸志郎

足について 1

1. 生活と表現

 今や「非日常」という手垢のついた言葉はあまりに胡散臭く、生活から切り離されたものとして何かに接するのは不可能なことだ、と言い切ってしまいたい気持ちは強いものの、表現というものは同時に日常からの跳躍を志向してもいて、長く苦しい制作過程を経て、気がつくと生活に対する意識や感覚はどこかに追いやられてしまっている、跳躍した先で日常生活への着地点を見失ってしまっているということが、わたしのこれまでの制作においてなかったとは言い切れない。今、「足について」という題で文章を書こうとしているのは、足というものが、表現(とくに演劇)と生活とを潔癖に区別することなく渡り歩くために、最も着手しやすい「素材」—明確な輪郭(すなわち「形」)をもち、なおかつ概念や記号とは異なり、無限に多義的な意味生成を志向する物—であると思われるからだ。俳優は舞台に立つのと同じ足で、学校や職場に通うのであって、また観客は劇場の客席に縛りつけられるのと同じ足で、帰路につき電車に乗るのである。
 ただ、わたしには足「について」書こうとするにあたって、注意を払わなければならない点がある。足「について」書くことは、生活と表現を横断する素材としての「足」というものから、かえって遠ざかってしまう可能性を含んでいる。言葉は何か「について」書こうとするとき、往々にして対象から距離をとり、まるでそれを眺め回すように書いてしまう傾向がある。そういう書き方、思考方法が好ましくないのは、実際に(文字通り)一歩踏み出すことが必要になる稽古場で、かえって体を動けなく、動かなくしてしまうからだ。わたしたちは普段歩いたり走ったりするときに、足「について」考えることはしない。それと同じことだ。
 それならばいっそ、足をめぐる複雑な問題系に立ち入るなんてややこしい真似は止めて、いつものように(日常の様態と変わらぬように)舞台の上を歩けばいいじゃないかと思われるかもしれない。しかし、そういう戦略をとると劇場全体における二つの「足」のあいだに、表現として無視することのできない大きな亀裂が走る。俳優の「日常的な」足と、観客の客席に縛りつけられた「非日常的な」足とのあいだに。つまり、そこにいるすべての人が自由に自分の足を動かすことのできる生活空間とはちがい、劇場における観客は自分の足がわざわざ—見るために—縛りつけられているせいで、舞台上で動く俳優の足に大なり小なり見る欲望を抱くことになるが、「日常的な足」(=技術に縛られない足)は往々にしてその欲望を裏切る。これは見る/見られるの関係が前提とされたあらゆる環境に対して言えることである。見られる対象が「自然に」歩くことは、すでにその構造において不自然なのだ。
 観客の足を客席に縛りつけるのであれば、その眼差しの先にある俳優の足は、生活する身体から跳躍し、眼差しに応答できるだけの説得力をもっていなければならない。そのためには、生活とその先とをつなぐ俳優独自の明晰な回路と技術が必要であり、それが十分明晰であるためには生活とその先とをつなぐ言葉の実践も不可欠であるだろう。「散策者」において、その仕事が演出家であるわたしの領分なのか、それとも俳優の領分なのかは今のところはっきりとはわかってないが、稽古場での〈内〉の仕事を文章という形で〈外〉とつなぐのは演出家の仕事だろうと思う。今はまだ、たしかに現場につながるとは言い切れないし、理論というに及ばないほど蓄積は足りないが、これから演技というものを構築していく手始めとして、地道にわたしなりのエッセイを書き進めていきたい。

 

中尾幸志郎

英雄

英雄のこと。大人になったら忘れてしまっていました。思えばウルトラマンは間違いなく英雄でした。子どもの頃に見た松井秀喜も英雄でした。英雄というものは、子どもの頃にだけ見えたという、小さな精霊に似ていると思うことがあります。いや、あまりに大きいものだから、そのうち、考えるのをやめてしまうのかもしれません。海の向こうの水平線を見て、地球が丸いのだといつまでも感じられることは、とても難しいことです。

三月に僕はタイに居て、朝起きたらものすごい雨で、僕は生まれて初めて冠水というものを見ました。寝巻きのまま通りに立ってみると、みんなそうして車道を見つめている。いつも観光バスとバイクで忙しい通りは川のように流れ、たまに血の気の多い若者がバイクで水しぶきをあげて、走っていく。

何もすることもないので、車道の川をぼんやりみんな見つめているのです。僕もそうしている。すると、その車道の川の真ん中を大きなベンチが流れていくのです。まるで、桃太郎の桃だ。すると、その後ろを汗とも雨水ともつかず、ずぶ濡れになりながら追いかけていく少年が現れる。

どうしてなのか。不思議なことだ。僕もみんなも、あのとき確かに、ハラハラと固唾を飲んで少年の行方を追ったのでした。そして、少年の手がベンチをひしと掴んだとき、歓声と口笛と笑い声がその通りにワッと沸き起こったのです。確かにその街のビーチからは水平線がよく見えました。

その少年はその瞬間、英雄的だったと、言わざるを得ません。なにかをみんなが、無根拠に見つめている。マツイの白球をすべての観客がある一瞬だけ見つめているようなものだ。英雄とはそんな短い時間の奇跡のことかもしれません。

 

作家 新居進之介

金色のアマガエル

 いま、作品のことを書こうとして、金色のアマガエルを見つけた日のことを思い出しました。夏休みのある日、うちのそばにあった田んぼで遊んでいると、数歩先にアマガエルがぴょんと現れました。はじめは目を疑いましたが、たしかにそのカエルはいつもの緑色ではなくて、はっきりとした金色だったのです。それで絶対逃がすまいと、慎重に慎重に近寄ったところ、そのカエルは微動だにしないでいてくれて、あっさりと捕まえることができました。ところが、虫かごに入れてよく見ると、カエルはいつもの緑色をしていたのです。どうしたわけかと不用意に籠をあけてそのカエルをいじくっていたら、跳びはねて逃げてしまったのですが、不思議なことにそうするとまた金色に戻っていました。帰って母親には光の当たり方でそう見えたのだと言われましたが、「そんなことでは収まりがつかない」と思ったあのときの気持ちをよく覚えています。

 この世界には、捕まえるということが適切な関係の仕方ではないような相手がいるのだと思います。歯がゆさや寂しさはそこから生まれるのかもしれませんが、私はあの日、不思議と開放感のようなものを感じていました。私はこの制作のあいだ、そういう開放感のことをずっと考えていたような気がします。

演出 中尾幸志郎

台詞を言えないことがある。

散策者第3回公演『アイルトン・セナの死んだ朝』に向けて 

長い宣伝文

2. 

台詞を言えないことがある。それは、単純な覚えの甘さからではなく。

 

散策者で稽古をしていて、台詞を言えないと感じることが増えた。他の稽古場でだって台詞を言えないことはあったけれど、その原因の大半は覚えの甘さだ。そういった覚えの甘さを抜きに考えてみても、この稽古場での台詞の言えなさは確かにあるように思う。

この稽古場における「台詞を言えない」というのはどういうことなのか。この文章を書いている今現在も完全に理解できている自信はない。けれども、そうだからこそ、この「言えない」について言葉を尽くしてみようと思う。そうすることで散策者の稽古場の一端を語ることができそうだから。

 

 

「言えない」とき、具体的にはどんなことが起こっているのか。それをまず言葉にするところから始めたい。「言えない」と思うシーンに共通することを書き出してみる。

じゃあこのシーンをやってみようとなると、私は台詞を口にしながら動いてみる。「言えない」ときというのは決まって、しっくりこない感覚がある。最初は違和感から始まって、次第に「言えない」が確信的になっていくように思う。自分の声も、身体の在り方も、気になり始めたら止まらない。私の思い通りに見せることができているだろうかと思うと、それだけで一杯になっていく。速く話し過ぎてないだろうか、声色が付きすぎているんじゃないか、不用意に動いてしまった気がするな。思わず、こうした色々に頭を働かせ続ける。そんな中でも挽回しようと言ってみたり動いてみたりするけれど、ますます考えこんでしまうことが多い。結果、言えなかったなという現実としっくりこないでいた感覚が残る。そういった結果というのは見ている側にも伝わるところがあるらしい。演出家から指摘されるポイントは大抵しっくりこなかったところだったりする。

 

ここで一度、「言えた」と思えた時について記してみる。きっと「言えない」を語るにはこちらも必要になってくるだろう。

本当は、「言える」について言葉を並べることができればいいのだけれど。不思議なことに、「言えない」と感じることはあっても、「言える」とは感じたことがないような気がする。あったとしても、「言えた」のかもしれないという事後的な感覚だけだ。それだけに、「言えた」かもというときのそれを鮮明に覚えている。以下、具体例として前回の第二回公演の稽古中、一つのシーンを練習していた時のことを記してみる。そのシーンは、廃墟を訪れていた〈僕〉がそこにかつて居住していた〈鯉沼薫子〉の痕跡を見つめたのち、彼女に宛てて手紙を書こうと決意するものだった。

 

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その日、私は早退せねばならなかったので、あらかじめ決められた時間より早くから稽古をすることになっていた。稽古を始めるとなって、一番最初にやってみようとなったのはこのシーン。このシーンはまだ何度も練習したわけではなかったから、どうふるまうかの裁量はほとんど私にあった。舞台には、ブルーシートの上に虹色の花型風車やマグカップ、化粧ポーチなどが置かれている。このシーンではここを鯉沼薫子の部屋に見立てて、私がその部屋に入るところから始まり、出ることで終わりということだけ決まっていた。

一度目。部屋に入って台詞を口にする。近くにあって目についた虹色の風車を手に取った。それは台詞が飛んでしまって慌てての行動だったのだけれど。手にすると回してみたくなり、くるくると回しながらそれに向かって台詞を口にした。しっくりは来なかった。それを見ていた演出家からは、風車を手に取ったみたいに何か一つを手に取って、それを対象に言ってみるのはいいんじゃないというようなことを言われた。それを踏まえて、二度目。部屋に入って台詞を口にした。何か一つを対象に、ということだったのでマグカップに注目してみようかと考えていた。なのに、実際に入ってみると、なぜか自分から一番離れたところにある化粧ポーチが気になった。近づいてみることにした。近くにしゃがんで見てみると、ピンク色でレザー素材のマチ付き、その中にはいくつかの化粧道具。触れてみたくなった。けれど、とてつもなく女性性を帯びて見えたそれに触れてもいいのだろうかとためらう気持ちが生まれた。そこにはもういない鯉沼薫子に対して語り掛けるような台詞を、化粧ポーチに向かって言いながら、少しだけ触れてみた。そうして、壊してしまわないようにその表面をすこしだけ撫でてみた。手紙を書こうという決意を述べるころには化粧ポーチから離れ、立ち上がって歩き出していた。それからその部屋を出た。そこでシーンは終わり。最中は、化粧ポーチに吸い寄せられて、ただただ化粧ポーチのことを考えるだけで頭がいっぱいで、ただただそれだけだった。その時の不思議な感覚が残った。演出家からよかったと伝えられると、もう稽古場を出なければならない時間だった。駅に向かいながらその感覚を確かめ、何が起こったのかを考えた。電車に乗ってからどうにか言葉になったものを書き留めた。そうすることでこの時感じていたことを忘れずに取っておこうと思った。

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今改めて振り返っても、あの時本当に「言えた」のかはわからない(「言えない」が分からないのだから)。けれど、それでも確かなのは、私があの化粧ポーチから、それが置かれたブルーシートという部屋から、稽古場自体から影響をうけたこと。何者かに吸い寄せられ、手をのばすように仕向けられたかのような、それでいて、あの時そこにあった身体の欲望通り身体が動いていたようなこと。それが思い込みであったなら、よく見えるなんてことはなかっただろう。

 

 

「言えない」と感じた時と、「言えた」気がした時を無理やり比較してみると、意識の向く先に違いがあるように思う。前者は俳優自身の言動に意識が向いている。一方、後者は俳優の周囲にあるもの(化粧ポーチなど形あるもの、場の環境や状況といった形ないもの問わず)に意識が向いている。

前者は自問自答を繰り返すような孤立状態に陥っている。何かが生じてその影響を受けるとしたら、震源は自分自身でしかありえない。けれども、その生じさせるということへの動機がないために何も起こらない。何もないまま舞台に立っていると“俳優としてこうあるべき(速すぎるくらいに言ってはならない、不用意に動いてはならない、…)”という思考にがんじがらめにされていく。対して、後者の場合、周りから影響を受けて反応することが可能な条件がそこにある。そこで生じたどのような影響であれ、受け取ると何らかの欲望が生じる。それは次の行動の動機になる。

もしかすると、「言えない」というのは影響を受けて反応するというやりとりに身を置き損ねた時に生じるものなのではないだろうか。影響を受けまいとシャットアウトしたり、ぼんやりと鈍感になっていたりするときに起こるのではないだろうか。

 

では、少しでも「言える」に近づいていくためには。もちろん、影響を受けて反応するということは必要である。ここにおいて、関係性の中に意味を見出せるかどうかというところはひとつヒントになり得る気がしている。言い換えれば、より適当な意味づけが関係性の中で行われるかどうかというところだろうか。

化粧ポーチを見つめたあの時、その姿形から私はそこに女性性を見出していた。この場合で言うと、化粧ポーチとじっと向き合い、鯉沼薫子という女性が登場するテキストを発話する私との結びつきでそこに女性性という意味が生じた。言い換えるなら、テキストという文脈のもと、化粧ポーチと私の関係において意味がより適切に配されたということである。さらに言えば、そうであると同時に、化粧ポーチと私の関係が文脈により正確に合致するものであったとも言えるのではないだろうか。この点で、事前に決めていたマグカップではなく、より心惹かれた化粧ポーチに近づいたことはプラスに働いている。場から生じた影響と、それによって生じた欲望を抑えて行動することは、影響を受けることを拒否するあり方である。拒否の先には孤立しかなく、意味づけ以前に関係を持つことすらできなくなってしまう。

 

ここまで散策者の稽古場での「台詞を言えない」について言葉を並べてきた。この「言えない」は場と関係し合えず、影響を受けたり、それに反応したりというコミュニケーションができないでいる時のことなのではないかというところである。

影響を受けないでいることはラクだし、省エネである。逆に、影響を受けることはエネルギーがいることで、かなり大変だ。ましてや、反応することなんて。けれども、だからこそ、関係し合ってコミュニケーションできると、計り知れない何者かが立ち現れるんじゃないか、なんて考えていたりする。

 

岡澤由佳

俳優の顔、幽霊の顔

散策者第3回公演『アイルトン・セナの死んだ朝』に向けて 

長い宣伝文

1. 

 わたしたちは普段、自分や他の人間に顔があることを自明だと思って生活している。だが、劇の稽古をしていると、そういう自明なことさえ簡単に疑わしくなる。さっきまで自明に顔のあった友人が、目の前で演技をはじめた途端、その顔の所在が分からなくなってしまうことがある。これは別に、宗教的な経験だとか、稽古が難航するあまり見る側の気が狂ったとかいうことではない。ただ演技が上手くいったという、ありふれたことが起きただけだ。

 顔というのは、しばしば個性とか特異性というものに結びつけて考えられる。たしかに私たちは、友人や家族のそれぞれを顔で区別して安心している。だが、私たちが日々顔を見ることで感じている、特異性という直感はほんとうに疑いの余地なく信じられることだろうか。

 太田省吾は、舞台上で役者が振り返ることで起こる、この自明性の崩壊について次のように述べている。

 

この変わり目、身体を他者の前に立てること、このことがあらわしてくる様相を退行とよんでみる。何が退行するのか。<私>が退行する、否、<私>の自他峻別性が退行する。そして相対的に、といっていいのだろうか、自他共同的側面が浮上することになる。 

 

よく、演劇は個性を追求するものだという人がいるが、太田はここで真逆のことを論じている。ここでは、演技という行為は、むしろ自らの特異性(自他峻別性)が疑わしくなるような地点に身を晒すことだと言われている。では、なぜ自他共同的側面が浮上するか。俳優は舞台上で、次のような身体を晒すことになるからだ。

 

第一に、<私>が身体をもってそこに存在しているとは、食って寝て、そしてそれを確保するために、少なくない制度を受け入れているということを示しているのであり、その事実によって他と共同的に維持されている身体である。そして第二に、われわれは類的な身体構造をもち、類的欲望をもち、そしてその身体は、生まれ—育ち—老い—死ぬという絶対過程を歩むという宿命、先天性をもっている身体である。 

 

まさに、舞台上で顔を失う俳優というのは、ここで言われているような身体として立っている人間のことだ。太田はここで、社会生活における「自然な」身体とは異なる、舞台上の身体について述べているが、私が考えたいのも、そのような身体における<顔>のことだ。常日頃身に纏っている、社会性という仮構を剥いで舞台上に立つとき、その人間の顔の所在は途端に不明瞭になる。そのときの人間の顔は、特異的であるというよりも、類的なものになり、いわば幽霊の顔に近づく。

 思うに、劇はそういう幽霊じみた顔で行われなければならない。なぜなら、そういう顔だけがテキストという他者に対峙できるからだ。言葉を解釈したり、「腑に落とし」たりするのでなく、言葉とともに在ろうとすることができるからだ。

 

2. 

 公演直前のこの時期に、わざわざ顔の話をするのには訳がある。それは、戯曲のような台詞形式のテキストでなく、小説形式のテキストをそのまま上演することは、別に驚くようなことではないと予め表明しておくためだ。確かに、今回のテキストは前回の日記形式のもの以上に、かなりとっつきにくいものだった。実際、そう認めざるをえないほど稽古は難航してきたし、正直今も順調とは言えない。だが、俳優の不明瞭になりゆく裸形の顔を見るには、案外戯曲よりも小説の方が向いていると感じることが多いのも事実なのだ。

 描かれる人物はいつも、はっきりとした顔をもたない。どんなに正確に、詳細に顔を書こうとしても、その顔が現前してくることはない。そのため、小説を映画化する際や、戯曲を上演する際は、キャスティングという過程を経て、無理やり一個の顔をその登場人物の名にあてがわなければならない。しかし、映画のことはわからないが、少なくとも演劇においては、この顔の所在は厄介になる。なぜなら、この一個の顔は、テキスト内の全く不明瞭な顔とは対照的に、特異な顔として立ち現れようとしてくるからだ。まさにこのことが、テキストと上演との間に生じる最も根源的な決裂、あるいは断絶につながる。

 この厄介さは、小説を上演しはじめて以来ずっとつきまとってきた問題だった。はじめは顔を持たなかったはずのテキストが、それと乖離した俳優の一個の顔と無理に重ねられることで、蹂躙され、響かずに死んでいく。見ていてはっきりと、安易な再現が通用しないことがわかる。だが同時に、稽古をしていると、人物名のもつ驚くほどの「引力」を感じずにはいられないのも事実だ。俳優は、文中にただ文字として現れただけの人物を、ともすると再現しようとしてしまうのだ。もちろん、それ自体は悪いことではない。だが、この「引力」に引きずり込まれるほどに、顔は何かそれらしき、嘘の明瞭さを帯びてしまう。

 さらに言えば、この「引力」は登場人物の名前など固有名だけでなく、動詞にも強くはたらいている。テキスト内に「泳ぐ」という動詞が出てくれば、たちまち俳優は「泳ぐ」仕草をしてしまいそうになる。だが当然、そのような安易な演技はすぐさまテキストによって蹴られる。つまり、「泳ぐ」という行為自体が押し付けがましく現前し、テキストとしての「泳ぐ」という言葉が死んでいく。このように、テキストはつねに動作による再現を魅了し、惹きつけつつも、いざ再現しようと試みると、その動作を決して受け付けようとしない。

 これだけ書くと、小説の上演とはなんて厄介なんだと思われそうだ(し、これまでわたしもそう捉えていた)が、実は事態は逆なのではないかと考えている。というのも、上で書いたような問題は、何も小説に限ったことでなく、戯曲や上演台本でも同じように生じているはずだからだ。たんに、後者の場合、問題が見えにくくなっているだけだ。戯曲を用いると、俳優の顔は失われていっているのか、かえって厚化粧を重ねているのか、かなり注意しないと気づかないかもしれない。特に役というものは、本来裸になるべく用意されたものであるはずが、その逆に派手な衣装や厚化粧に転じてしまいやすい。それに対し小説は、比較的分かりやすい仕方で、厚化粧した俳優の顔を突き放してくれる。

 だから、ありきたりな言い方をすれば、小説を上演することはわたしたちにとって逆境であり、同時にチャンスなのだ。ここで書いたように、厄介なことだらけではあるが、シーンができた時の喜びはその分大きい。社会生活の中で現れる、あの「自然な」顔でない、何か別の顔。幽霊の顔。それは他者に対峙することの可能性を感じさせてくれるような、希望に満ちた顔だ。

 

演出 中尾幸志郎

住まう

 家というのは結構好きだな、とつくづく思います。これは必ずしも自分の家に限ったことではないのですが、居心地のいい建物というのは、私に見ることも聞くことも強いてこず、それなのに私を居させてくれるものです。私は見ることも聞くことも好きな方ですが、心地よく居るということは、見たり聞いたりすることよりも尊く、また難しいことだと考えています。

 私にとって舞台作品というのは、新しい住まいのようなもので、はじめのうちはじろじろと眺めまわしても、徐々にその空間を自分の<場所>として認め、そこに腰を落ち着けられるといいなと思うのです。俳優たちにもそれを望んでいるし、もちろん観客のみなさまにもです。

 そうはいっても、きちんと気配りを巡らせて設計し、簡単に崩れないよう丁寧に組み立て、適度に装飾し…という地道な作業はなかなか骨の折れるものでした。骨の折れるものでしたが、そうやって一軒の家が建ったということ。そして、そこで幾人かの人間が、各々の時間を過ごしたということ。そういうことが痕跡として、どこかに刻まれ残るということ。そういう素朴な事実のために、この作品が更地の劇場に立つのであれば、それはとてもありがたいことだなと感じています。