話をする意味、わたしの記述。

原涼音 

コロナ禍になってから演劇は今までのようにできなくなり、何となくで続けられていたそれまでの生活に向き合わざるを得なくなった。自分は何ができるのか、どうしたいのか、何がしたいのか、よくわからなくなった。そんな中でも、散策者の活動を続けたり、ペアで活動したりと参加できることはした。それでも、ぽっかり空いた穴のようなものは埋まりきっていなかったように思う。

縁があって一昨年の10月に東京から福島県喜多方市へ移り住み、昨年の1月からは市内のビジネスホテルで仕事をしていた。

喜多方に移り住んでからは、更に演劇から離れてしまった気がした。自然の豊かさは体にいいような気がしたが、コロナ禍で友人や仲間に直接会いづらくなった上に距離まで遠くなってもっと難しくなってしまったし、生で演劇を見るのも容易にできなくなってしまった。演劇を観たいのかどうかもよくわからなかったが、近くにない、いないということの方がわたしにはつらかった。

昨年6月には同居人が東京へ戻り、わたしは一人になった。もちろん喜多方に来て知り合った人もたくさんいるし、慣れない土地での生活を気にかけてくれる人もいた。でもわたしは一人だった。一人だな、と思ってしまった。

 

散策者では次回公演に向けて昨年の5月頃からミーティング等がされていたが、7月頭ごろに「ただ話すだけの会」があった(正式な会の名称は覚えていない。別になかったかもしれない)。11月にオフラインの稽古が始まるまではずっとオンラインだったので、この日もSkype上での集まりだった。近況報告だったり思いついたことを話したりする時間だったと思う。この日の記録は残っていないので詳しいことは正直憶えていない。

ただ、この時わたしは、話すことができる、話せる相手がいるということがどれだけ救われるかということを感じたのだ。

もちろんそれまでも日常生活で話はしていた。職場であったり、市内で参加していたオペラ合唱団であったり。でもそこでは生まれない種類の「会話の場」がこのSkype上にはあった。自分が話したいように話せる場、というか、素直に話せる場、と言えばいいのか。

ただ自分が閉じ籠っていただけと言われればそうだが、その閉じ籠っていたわたしにとっては「人に話す」ということがどれだけ大事だったのかということだ。

 

その後の稽古はテーマを決めてエピソードを話したり、誰かが話したことから思い出したことを話したり、しばらくは話をすることに時間を割いた。時には、今まで人には話そうとしていなかったことを話してしまったこともあった。それでもあまり嫌な気持ちにはならなかった。もしかしたらそれは自分の中でずっとこびりついていて、人に話すことで溶かされることを望んでいたのかもしれない。

「話をする」ということは「癒し」の感覚に近い。

この癒しの感覚を誰かに手渡すことはできるだろうか。

 

今年2月末に東京に戻ってきた。演劇との向き合い方はまだ決められていない。

話を続けながら、ゆっくり決めていきたい。

 

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