散策者はプロジェクト・ユングラが主催する「交換レジデンスプロジェクトvol.2 —人間のための窓—」に参加しています。ユングラ側から参加されている木村玲奈さんとさまざまな「交換」をしてきた数ヶ月を経て、2025年3月2日にユングラ(東京・西国分寺)で最終発表を行います。長丁場ですがお付き合いいただけると幸いです。
⬇️交換レジデンスプロジェクトとは⬇️
スタジオ「ユングラ」を拠点に活動するコレクティブ、「プロジェクト・ユングラ」と、さまざまなアーティストが参加するアトリエ/コミュニティ「円盤に乗る場」が連携し、「交換レジデンスプロジェクトvol.2 —人間のための窓—」をおこないます。
ある場所に何らかの魅力が感じられる時、それを作り出しているのは、その場所を維持し、利用し、変化させている人間の働きです。場所を介してうごめく人間の動きや関係性に、今回は着目します。
場所の内と外を区切り、つなぐものとして、「窓」があります。
窓は、空間を区切りながらも、中から外の景色を眺めたり、光や外気を取り入れたり、外から部屋の様子を伺ったり、窓を通して視線や言葉を交わしたり、外と内をつなぐために使われます。ドアのようにより物理的・直接的に内と外を行き来するものではなく、カーテンやガラスによって、その都度遮るものと通過させるものをコントロールしたり、いざとなれば壊されたり人が出入りする可能性も秘めていたりします。
つまり窓は、閉じながら開くことのできる、より両義的な存在だと言えるでしょう。窓があることによって人間は常に、閉じることと開くこと、切断することとつなぐことの両方を同時に促されます。
「ユングラ」と「円盤に乗る場」、それぞれの場所にある「窓」という存在から、場所と人間のつながり方、人間と人間のつながり方を考えてみます。
ユングラからは、ダンサー・振付家の木村玲奈が、円盤に乗る場に度々滞在し、円盤に乗る場からは、舞台作品制作の集まり「散策者」が、ユングラを複数回訪れ、それぞれのアーティストがその滞在を経て、作品を制作・発表します。
参加アーティスト・スタッフらによるクリエーションレポートがこちらからお読みいただけます。
⬇︎公演概要⬇︎
6人の散策者メンバーが互いにやらせたいことをやらせる。発表とかする。
ここにもいる→散策者 (@the_sansakusya) • Instagram photos and videos
⬇︎会期⬇︎
2025年3月2日(日)
⬇︎会場⬇︎
ユングラ(〒185-0023 東京都国分寺市西元町2−17−11コーポ富士307)
⬇︎クレジット(やらせたいことをやらせる)⬇︎
演出・出演:岩下拓海、岡澤由佳、田中優之介、中尾幸志郎、長沼航、原涼音
伴走:木村玲奈
観察(当日):明源
写真提供(メインビジュアル):内田颯太
⬇︎タイムテーブル&内容説明⬇︎2/19更新(➕のついた見出しをクリックすると説明が表示されます)
👀公演紹介文(長沼)
⬇️👇⬇︎開いてくれてありがとう!⬇︎👇⬇️
散策者は劇団として活動していて、ここ2年くらいは作品発表をたくさんやるフェーズにありました。週5で働いているメンバーばかりなことを考えれば、結構なペースで発表してきたと思います。お疲れ!見にきてくれた人、ありがとう!
ってなわけで、今回の「やらやら」はちょっと毛色の違うことやりたいなーと思って、ひとつの作品をお見せするのではなく、1日かけて6つの異なる発表を披露することにしました。その名の通り、散策者の6人のメンバーが互いに「やらせたいことをやらせる」発表です。
絶賛準備中のいま、稽古場では各々が勝手にいろんなことをしています——変顔の練習をしたり、バターを作ったり、仕事についてインタビューをしたり、筋トレをしたり、ヨガをしたり、疲れて寝たり、撮ってきた映像を見て話したり、工作をしたり、自動音声に従って演技をしたり、おやつを食べたり、台本を書いたり……。隣でやっていることが気になって、目の前のことに集中できていないときもあるくらい、たくさんのことが同時に起こっているんです。なにしろ6人が他の5人に対して1つずつやらせたいことをやらせるので、6×5=30個のやらせたいことが充満してるんですから、これはもうとんでもない。学童みたいになってる。大人の学童です、これは。
普段もいろんな実験を稽古場でしてはいるものの、いつもはたくさんの素材をひとつの作品の構成要素にするために研ぎ澄ませたり切り捨てたり、とにかくみんなである一定方向にむかっていくわけです。でも、今回はてんでばらばらの6方向に突っ走っていくスタイル。と思いきや、突っ走った向こう側で思わぬ再会を果たしたりもしちゃったりして、てんやわんやの毎日です。
1人が他の5人に「やらせたいこと」を受け渡し、同時に5人から「やらされること」を受け取る。そうしたたくさんの矢印がネットワークを結ぶなかで、ただひとつはっきりしているのは、それぞれが自分のやらせたいことに責任を持って取り組んでいるということです。そうした責任の取り方を、演劇の言葉では「演出」と言います。一人一人が面白いと思うことの面白さを、やらせたい相手に、そして、見にきてくれるお客さんたちにわかってもらうための「演出」と呼ばれるその営みがここでは6つの形を取って現れます。6人それぞれがどんな演出をするのか、どんなやらせ方をするのか、どうやって「やらされる」のか。ぜひ、その現場を目撃してください。
3月2日の当日は昼・夕の2部制。各部ごとにメンバー1人が演出し、他5人が出演する40分間の発表を3つお届けします。部の終わりには、それぞれの発表を振り返るトーク(無料・予約不要)も用意。入退場も比較的自由な公演なので、西国分寺の散策——大きな公園や図書館、史跡やおしゃれなカフェなどいろいろありますよ——とあわせて、ふらっとお立ち寄りください。
☝️と言いつつ、おすすめはやっぱり通し券での1日滞在!散策者に入門してください!!!
〈昼の部〉 |
13:00-13:40 | ①「からだを変えてみる」演出:長沼 「からだを変えてみる」では、自分が普段捉えている「からだ」からちょっとはみ出てみる実践を行います。舞台芸術をつくる私たちにとって、それは自分自身の身体や表現の幅を広げ、舞台上で使える領域を増やすことを意味します。なぜなら、人は自分のからだに対して固定された自己イメージを持っており、そのイメージを見直し、組み替えたり組み合わせたりすることが、新たな表現につながると(少なくとも私は)考えているからです。 ということで、この1ヶ月半、メンバーそれぞれに私から「からだを変えてみる」ためのワークを渡して実践してもらいました。私からみんなへの「あなたはこういうこともできるはず」というプレゼント。当日は、個々が自分のからだの新しい可能性を探るために取り組んできたことを、みなさんの前でお見せしようと思います。 だからこそ私は、この発表を舞台芸術に関わる人だけでなく、散策者メンバーの家族や友達、会社の人たちにも見てもらいたいと思っています。普段、親しくしている人のからだが、まったく別のものに感じられる瞬間がきっとある。 それを目の当たりにすることは、あなた自身のからだに対する見方を変えるきっかけにもなるかもしれません。(長沼) |
13:50-14:30 | ②「形を練る」演出:岡澤 バターをこねる、三つ編みを編む、外郎売を全力でしゃべる。さらに服を重ね着しすぎてモコモコになり、最後は花の定食を作る。 どれも最終的な形だけを見せるのではなく、できあがるまでの過程もお届けします。最初は「何をしているんだろう?」と不思議に思うかもしれません。でも、手を動かし、声を出し、少しずつ形が生まれていく様子を見ているうちに、なぜかワクワクしてくる。気づけば「自分もやってみたい!」と思ってしまうらしい。観終わった後にはついつい何か実践してしまう、そんな40分を練り上げます。(岡澤)
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14:40-15:20 | ③「呼吸をする」演出:原 岩下⇒縄跳び 岡澤⇒ヨガ 田中⇒オンラインミーティングにいる人 中尾⇒陸上部の準備運動 長沼⇒落語 それぞれのやらせたいことについて、自分は何が見たかったのか、みんなへの欲望は何なのかを考えたときに、このやらせたい事柄は単に手段であり、目的は「手段の先の結果」を見るということなのではないか、と思うようになりました。 ある人は疲れて息が切れる、ある人はリラックスしている、ある人は一点に超集中している… この人のこれが見たいとは、どういう欲望なんでしょう。自分の奥深くが見えてきそうな気がして、目をそらしたくもなり、でもやはり知りたくもある。 最後まで何を見たいのかを純粋に考えながら、みんなにやらせたいことをやらせます。 おそらく私の頭の中が見えるような上演になるのでしょう。ぜひ目撃しに来てください。(原)
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15:30-16:30 | トーク「〈昼の部〉を振り返る」登壇:長沼、岡澤、原、明源 トーク「〈昼の部〉を振り返る」では、〈昼の部〉の演出を担当した3人のメンバーと、散策者が継続的に協働している明源が登壇し、それぞれの発表を振り返ります。どうしてこの企画が生まれたのか、どのような発見があったか、発表は果たして面白かったのか……?などさまざまな話題に触れる予定です。 |
〈夕の部〉 |
17:00-17:40 | ④「基本に立ち返る (Back to the Basic)」演出:岩下 平成の部活魂、再降臨!!
「基本に立ち返る」とは、ただの演劇の原点回帰ではない。これは、中高時代のあの平成的メンタリティを舞台に召喚する試みだ!
余計なことは考えるな!とにかく走れ!声を出せ!仲間を信じろ!パスを繋げ!いや、そもそも演劇にパスなんてあるのか?関係ない!あると思えばある!!
舞台上では、俳優たちが「基本とは何か?」を身体で探りながら、平成の部活特有のノリと共に駆け抜ける。気合いと根性、異様な団結、息の合った声出し、意味のない円陣。シンプルな動作の反復が、次第に場を支配し、観る側の脳裏にも染みついてくる。
やがて、疲労と熱狂の果てにふと聞こえる。
「それでいいのか?……お前が、一番分かってるはずだ」
先生も、先輩も、もういない。誰ももう「やれ」なんて言わない。
でも、あの頃の声だけは、まだ消えていない。
これは演劇なのか?もはやトレーニングか?それともただの青春の亡霊か?いや、そんなことはどうでもいい。平成式の「基本」に立ち返り、全力で駆け抜ける40分! あの頃の自分に、もう一度会いに来い!!(岩下) |
17:50-18:30 | ⑤「肉を捏ねる」演出:中尾 「肉を捏ねる」では、岸田理生『料理人』から第1場を抜粋して上演します。(※) 5人の登場人物が、今ここにはない謎肉の正体を巡って語り合うシーンです。
――「猫、です。」「人……だと聞きましたが……。」「人、です。」「猫……だと聞きましたが。」
このシーンを、書画カメラ、音声合成技術(TTS)、そしてAIを活用した演出手法によって構成しました。演出家が俳優に出す指示は、書画カメラを通じて舞台上のスクリーンに投影され、同時に合成音声で読み上げられます。指示の内容は、あらかじめ俳優ごとに用意されたリングカードに書かれたものと、AIが直前に生成するものに分かれています。演出家はこれらの指示を舞台図上にリアルタイムで配置し、俳優に伝達します。
こうした一連の装置を通じて、戯曲に記された「不在の肉」と、俳優の「生身の肉体」が交錯し、捏ねられ、混ざり合い、変化していく舞台が生まれます。俳優が特定の指示に従いながらも、偶然性や意図しないズレが生じることで、個人の輪郭が揺らぎ、異なる肉同士が混ざり合う瞬間が立ち上がるのではないか。
この上演を通じて、培養肉をはじめとする、新しい肉との関係について考える契機になればと思います。
※日本劇作家協会の「戯曲デジタルアーカイブ」のリンクから、戯曲をお読みいただけます。
https://playtextdigitalarchive.com/drama/detail/875(中尾) |
18:40-19:20 | ⑥「街を見る」演出:田中 街は生きた彫刻にあふれています。 私はサラリーマンです。街ではサラリーマンの形をしています。同じように、店員は店員の、駅員は駅員の、学生は学生の…というように、街を歩く人々はもはや同じような形をしているように見えます。しかし、実際にはその一人ひとりが固有な存在で、家に帰ればそれぞれの固有な形を取り戻して生活をしているはずです。裏を返せば、街は定められた形を演じている人々の、固有な物語を秘めた舞台なのです。 本企画の最後の作品である「街を見る」では、普段窓から覗くことでしか垣間見えない人々の固有の形を、語りや写真、塑像などの手法を通じて浮かび上がらせることを試みます。この作品が、帰り道のお供として、街やそこを歩く人々の形がよりおもしろく映し出されるきっかけになればと思います。(田中) |
19:30-20:30 | トーク「〈夕の部〉を振り返る」登壇:岩下、中尾、田中、明源 トーク「〈夕の部〉を振り返る」では、〈夕の部〉の演出を担当した3人のメンバーと、散策者が継続的に協働している明源が登壇し、それぞれの発表を振り返ります。どうしてこの企画が生まれたのか、どのような発見があったか、発表は果たして面白かったのか……?などさまざまな話題に触れる予定です。 |
✍️ステートメント(中尾)
やらされの森で即興的に生きる術を探る
世の中の仕事も演劇も、「人が人に何かをやらせる」ことで成り立っています。
理想を言えば、自分のやりたいことをやっているだけで、世界がうまく回ればいい。
でも、人と人が関わる限り、誰かが誰かに何かをやらせる関係は必ず生まれます。
私は普段、システムエンジニアとして働き、チームメンバーに設計書やプログラムを作ってもらう立場にいます。
また、演出家として舞台を作るときも、俳優に演技をしてもらい、美術・音・照明のスタッフにさまざまなことをお願いしています。
でも、「人が人に何かをやらせる」とは一体どういうことなのか、いまだによく分かっていません。
今回の公演では、この「やらせる」「やらされる」という関係を、二つの視点から探ります。
1つ目は、「他人のやらせたいことをやる」こと。
これは仕事でいうと「部下」の視点で、演劇でいうと「出演者」や「スタッフ」の視点です。
誰かの指示に従っているうちに、自分のやりたいことが見えてくることもあれば、
指示に反発したり、齟齬を感じたりすることで、自分なりの道を見つけることもあります。
他人のやりたいことを絶対的なものとして固定するのではなく、そこにノリつつも、ズレていく何かを楽しむことはできないか。
これは、私が他人とは異なる存在であることを認めつつ、他人と一緒に存在できるあり方を模索するためのレッスンになるはずです。
したがって、これは労働の話であり、仲間の話でもあります。
2つ目は、「他人にやらせたいことをやらせる」こと。
これは仕事でいうと「上司」の視点で、演劇でいうと「脚本家」や「演出家」の視点です。
今は他人にやらせたいことをやらせることが難しい時代だとされています。他人と私が異なる存在であることを認めつつ、自分のエゴを通す必要があるからです。
では、相手がやりたくなるように「やらせる」にはどうすればいいのか?どんな仕掛けや場があれば、人は即興的にクリエイティビティを発揮し、結果として価値のある何かを生み出せるのか?
これは、他人が別の他人と異なる存在であることを認めつつ、一緒に存在できるあり方を模索するためのレッスンになるはずです。
したがって、これは人間社会の話であり、人間ではないもの(動物や機械)の話でもあります。
この公演では、私と散策者の他5人が、お互いに「やらせたり、やらされたり」する場を作ります。
私が5人にやらせたいことをやらせ、5人のやらせたいことを私もやる。
その試行錯誤を通じて、やらせること、やらされることのポジティブな側面を探りたい。
「やらせる」とは何なのか? それを楽しむことはできるのか?
この公演を通じて、皆さんとともに考えていけたらと思います。
⬇︎券種・料金⬇︎
〈昼の部〉券(①〜③):3,000円
〈夕の部〉券(④〜⑥):3,000円
一日通し券(①〜⑥):5,000円
*各枠約40分。途中、入退場自由。
*各回定員20名
*トーク「〈昼の部〉を振り返る」「〈夕の部〉を振り返る」は入場無料(予約不要)
*会場内では履き物を脱いでいただきます。